登る山の道が正しければ、勝てた(価値のあった)裁判。

最高裁への上告を行う旨の話は聞きかじってはいたが・・

地裁〜高裁時の情報に比べて情報量が格段に不足していたために、

詳細に渡る上告の申請文等について吟味出来ず、その点で考察すべき内容も

正確な所まで言及が困難ではあるものの、事実上高裁判決の内容を

最高裁にて丁寧に精査されなかったことは、実のところ大きな禍根を残すことになるとみている。

原告側代理人が高裁判決以後、継続して起用されたのか否か、

申請内容には新たな論点や、追求すべき要項が更に盛り込まれたのか否か・・

この辺りを把握しないとならないが、以前にも言及したことであるけども、

もしも争いの基本線が一審当時から大きく変わっていなかったとすれば、

それ自体「戦略の誤り」だった可能性はどうしても拭えない。

結論から言えばこの裁判は、切り口を少し変えていたなら勝てた可能性が大きい。

もう少し正確に言うならば、訴状にみられるような過失責任・・

即ち落雷発生後からの主催側に拠る対応に瑕疵の多くを言及するのではなく、

「落雷発生前の事前対策」が如何なるものだったかについて重きを置けば、

催事主催業務〜管理者としての本質的なあり方を社会広範に問えるものだったのと同時に、

浮き彫りになるであろう改善点の詳細な点、他方では観客側としての留意点等、

もっと詳細に検討出来る余地が多々あったわけで。

そのことは結局、総体的に被害者側の無念は、一個人の損害賠償という範囲に留まらない

大変意義深い訴訟になる可能性があっただけに、極めて勿体無さ過ぎると言わざるを得ず。

今の状態だと、単に損害賠償の請求が認められなかった・・という結論しか表面化しない。

これでは実質、意味がない。

この案件における複数争点、その中の一つの鍵であるのが「主催者に拠る管理範囲」だ。

当被害者が事故に見舞われた場所が、果たして主催者に拠る管理責任範囲か否か・・。

一審時に判決全文を入手し、警備配置図をくまなく観てみたが、

当該会場である「長居公園」の基本導線から主会場のメーンスタジアムまでと、

物販専用として別途借用されていた「第二競技場」周辺まで警備の対象にされていたことは

疑いようのない事実。

当然の如く、位置関係や距離要件等含めれば、留意箇所の濃淡はあり、

手厚くすべきポイントやそこまで至らない場所などがランダムに派生、

敷地内をくまなく均等に厳格管理することは極めて難しいものの、総体的に言って、

およそ5万人ほどの観衆がこの一箇所に集う背景を鑑みるなら、

管理責任区域がライヴ主会場と物販会場のみで、周辺は一切管理外とするのは

現実的に観てあまりに「無理筋」。

実際問題として、会場借款要項が前提となり、基本原則としてはその規定に倣うのが

絶対的であるが、「基本原則」が全てのケースを担保するとは言い切れないのが実情。

つまり、「イレギュラーに起こり得るトラブル」については、可能な限り“対応に努める”。

これがよくあるパターン。当該会場の正確な借款や事前協議の程は掴みきれぬが、

明確な線引きによって「これは対象、これは管理外」とすべからく分けられてるとは限らない。

よって「ケースバイケース」として、柔軟な態勢が自ずと主催者側には求められるべきもの。

関連する項目として、実はこの部分が隠れた大きな矛盾点だが・・。

当会場のような「多目的催事場」での有料催事の場合、

当該所轄の警察と消防にそれぞれ「警備計画書」と「避難誘導計画書」を提出し、

認可を受けて初めて開催出来る仕組みになっている。

とりわけ本件での事故は「自然災害」に拠るもので、消防法に則った避難誘導計画に該当、

落雷に関する要項は、昭和のある時まではそれほど明確なものはなかったが、

ある時からはより踏み込んだ規定が観られるようになった。

基本線としては、落雷の発生を想定して、観客の避難場所がどのように確保されているか、

どのようにして速やかに観客を誘導し事故を防ぐか・・といったような内容だ。

一方で、落雷以外の地震や火災らを含めて、対象となる場所や時間帯は

どのように規定されているか・・。

基本的内容は「開催時」を中心として、入退場時・・

即ち“大多数が集っている状態”→主会場を中心に想定されている。

とはいえ、催事はすべからく皆同じ形態にあるものではなく、集う状態や時間帯等に

差異があるために、明確に「本番と入退場時」のような表現や規定はなく、

ざっくり“観客が存在する限り”、主催者側の管理責任があることを示唆している。

場所についても主会場建物を中心とするものの、避難場所が建物外にあれば

当然そこまでの円滑な誘導を想定し、大規模地震や火災が発生すれば

当然建物外の安全な一定領域まで避難誘導を行う義務が生じるために、

自ずと主会場外まで管理領域は含まれるものである。

一審以来の判決には、当被害者が事故に遭った場所は主会場から「遠く離れていた」とし、

管理責任区域外と判断したが、既存の消防法に拠る規定に則るならば、

離れていることが管理区域外だとするには明らかな矛盾が生じる。

他方、当事故発生時刻は既に開場が始まっている、またはその直前辺りであり、

大多数が既に詰めかけている状態からしても、主催する側に拠る進行基準から言えば

「準本番時」で、仕切り業務の本番真っ最中である。

つまりは、観客に対する実質的な対応が佳境に入り始めている段階だ。

とした時、多くは主会場周辺の至近距離に集中することになるが、

ではその辺から離れていくほどに注意義務は少なくなり得るものか・・答えはノーだ。

もしも何らかのきっかけによって、想定されていた整列が取れなかった場合、

離れた場所まで入場列が及んでしまうことは起こり得る。

その際は、後列や最後尾周辺にまで人員を配置しなくてはならなくなり、

その辺りでの何らかのトラブルが発生した場合、対応に当たるのは当然のことだ。

特筆すべきは、当事故が発生するより少し前、別な地域で開催された野外公演では、

主催側が事前に落雷対策を念入りに考慮、避難場所の確保やルート、誘導方法など

対策を取っていた事実があり、当事案だけはそれが不可能だったとする根拠理由は特段ない。

そしてもう一つの重要点。落雷の予見義務だ。

地裁と高裁判決ではそれぞれ、「雷注意報は出ていたものの、落雷は予見不可能」、

「「落雷の危険が迫っていると予見できてから十数分後に事故が起きており、

避難誘導は難しかった」とした。

一見して尤もらしい言質であるし、そう捉える向きも多いが、実は間違っている。

予見不可能なのは「雷が落ちる正確な場所や時間」であって、

「どの辺の領域(地域一円)に、どの時間帯に落ちそうか」は既に相当な正確性を持って

予見可能なんであり、予測システムは気象庁提供のサービスをはじめ、

民間業者提供のものまで複数存在する。

何より、代表的な気象庁提供のシステムは、当事案発生当時には既に稼働していたのである。

現代のゲリラ豪雨辺りを観ても、接近から発生まではかなり急速で、

徴候が見られてから対応を始めても、時既に遅しなことは割りと広く認知されて来ているわけで、

事故当時も既によく発生していたパターンであった。

つまりは、高裁判決にある「避難誘導が困難だった」のはその通りで、

当たり前のことを言っているに過ぎない。だからこそそうなる前に、

早い段階から対応策を取れなかったのか否かが最も重要なこととなる。

前日から継続発令中だった注意報と合わせて、精度の高い予測システムを活用していれば、

予定開場時刻を変更し、『遅延措置』を取れる余地は充分あった、ということだ。

結果として、事故や豪雨、落雷を受けて急遽大幅に遅延措置を取っているわけだから、

最初からそれを想定準備出来たかどうか、ほぼその一点のみで瑕疵の程度が判明される・・

ということなのである。

更に、90年代後半には、高校生に拠る学校スポーツ行事のサッカー競技の場にて、

落雷を受けて半身不随になってしまったことを受けての、学校側に拠る管理責任・・

即ち「落雷予見義務の有無」を問うた判例で「予見義務はあり、当事予見は可能だった」

とする最高裁の逆転判決事例がれっきとして存在する。

本件と比較して、教育現場の一旦であること等、異なる背景要素があるものの、

司法に拠る裁定の根幹はあくまで「落雷予見」だったわけで、本件事故以前の当時に

その判断が存在していたわけだから、今更になって「予見不可能だった」とする司法裁定は

あまりにも整合性に欠ける。

だからこそ、本件でも最高裁の場で何としても俎上に載せる意義があったのであり、

その道筋を代理弁護人が潰えさせてしまったとするならば、ある意味でその罪は

主催側よりも大きいと言えるかもしれない。

実際の所、当事故を受けて、とりわけ一審時による司法裁定の中の、

上記「消防法」に関する部分での齟齬について、プロモーターやイベンターの一部では

戸惑いが発生している。厳密に言えば、統括する所轄消防の中でさえ

苦虫を噛み潰すかのような場面が散見されるとのことだ。

何より顕著だったのが、一審時による「落雷は、“もっぱら”自己責任である」

と言い切ってしまったことだ。これをまともに受けてしまえば、

主会場の中でさえも、主催側に拠る避難誘導指示に従わなくてよく、

自己責任なのだから個々に判断して、各自バラバラな避難方法を取るのを

認めてしまうことになる。これでは、安全管理義務にある主催者業務というより、

消防法を完全に否定、または無視していいことを司法がお墨付きを与えてしまったようなものだ。

こんな滅茶苦茶な民事司法を、ぼんやり「当然の判断だろう・・」とするなら、

よほど危険な認識だと自覚した方がいい。

尚、この記事は粗雑というか、第一報をまんま用いてるだけで、

これでは中身があまりにもわからず、多々誤解を生じさせていると言わざるを得ない。

最たる所は「野外コンサートに向かう途中で落雷に遭い死亡した」とする部分。

これだとまるで、長居公園よりももっと前の段階や公道・・という解釈になってしまう。

一方で日経に拠る記事は、同じく短いものの内容は異なり、

上記部分は「野外ライブに“来た”女性(当時22)が落雷で死亡した事故で・・」となっていて、

既に「現着した」ことがわかる文面である。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG20H8B_Q7A720C1CC1000/

このように、最高裁までに渡り相応の時間が経過しているにも関わらず、

未だに「行く途中」と解しているメディアや読者がいたり、論点を明示していないものもあったりで、

これでは正しい理解など進むはずもなかろう。

先ずは(と言っても今更殊更だが・・)事実関係から追い直さないと、

明日は我が身だった場合、あるべき正しい対応さえ向けてもらえない恐れが有ることを、

訴えた側を漠然と批判する者はよく自覚しておいた方がいいだろう。。

落雷死、遺族側の敗訴確定=イベント主催者への請求棄却―最高裁

(時事通信社 - 07月20日 18:00)