ほんのわずかな人しか成功しない理由

 人間の集団全体を見た場合、

どのような人で構成されているか

という研究も進んでいます。

これは、

セールス・アソシエイツ?の

桑原氏のお話しですが、

ある説によると、

人間の集団の中に

大きく

四つのグループが

存在することが

研究成果としてわかってきたというのです。

それは、

3%の『超一流の人』、

10%の『まあまあの人』、

60%の『ごく平凡な人』、

27%の『グチ・不平・不満を言い

他人を批判する

落ちこぼれや脱落者』

です。

それぞれのグループの人を集めても、

その中には、

やっぱり

この比率で、

このような人のグループが

存在するというのです。

そしてまた、

さらに

それぞれのグループの中を

よく見てみると、

やっぱり

この比率で・・・・というように、

だんだん絞り込まれていくそうです。

その中でも、

もっとも癖が悪いのが、

10%の

『まあまあの人』

だそうで、

ゴルフでいえば

『教え魔』が

そうだという。

確かに

どこにでもいますよね。

そこそこの腕前で、

やたらと他人に教えたがる人が。

そういう人に限って、

『超一流の人』を、

全知全能を傾けて、けなしたり、

批判するのです。

「あそこまでやっちゃあ

家庭はボロボロじゃないか」

とか、

「もう普通じゃあないね。

キチガイだ。

イカレてるね」

確かに、

そのとおりです。

まあまあの人とか、

そこそこの人とか、

平凡な

普通の人と、

超一流の人が

同じであるわけがありません。

普通の人がやってるようなことを考えたり、

思いついたり、

行動をしていては、

決して超一流になれないのは

当たり前です。

超一流の人にフォーカスしてみた場合、

よく出されるのが

プロ野球選手の例です。

高校野球で甲子園には行けたが、すぐ負けた。

甲子園で優勝したが

プロにはなれなかった。

プロになって2軍にいたが

1軍には入れなかった。

レギュラーにはなったが

スター・プレーヤにはなれなかった。

日本ではスターだったが

メジャーでは通用しなかった。

そんな例はよくあることです。

イチロー選手や松井選手の存在が

いかに高いレベルにあるか、

超一流の中の超一流、

そのまた

超一流の中の超一流が、

どんなものかがわかるというものです。

ことほど左様に、

上には上があるというお話です。

このようなグループ分けは、

どのような集団にもあてはまる法則です。

身近な生活の場や学生時代のこと、

かつて勤めていた会社や

お取引先の人たちをみても、

如実にわかります。

私の2005年の年賀状は、

前年の近況報告をさせていただきました。

これに対する反応一つ見ても、

超一流の人の反応は素早いものでした。

読んだ瞬間に電話をかけてきて

「是非、会いたい」

とおっしゃる人もいました。

学生時代、

国学経営学会を主催した折に、

一方ならぬお世話になった人で、

30年以上も、

なぜか

彼とだけは

年賀状のやりとりが続いていました。

その間、

一度も

会う機会もなければ、

会おうという

気も起こりませんでしたが、

たまたま

年賀状で、

私が

安岡正篤師の教えに

学ぶ者であることがわかり、

感激の再会を

心待ちにする間柄に

なってしまったという次第です。

その後は、

何かと

相談の電話を頂くようになりました。

また、

もう

お一人は、

ご自分が

ワープロ

練習の

集大成として

打ち上げたという、

安岡師の

貴重な講演録を

ご持参され、

貸してくださいました。

それはそれは、

もう

天にも昇るような感激でした。

早速コピーさせていただき、

お返しに参上すると、

さらに貴重な書籍を

数冊も

プレゼントされ、

感激に胸が打ち震えました。

このような方が

お隣のご町内に住んでおられたとは、

夢にも思っていませんでした。

ほかにも、

かつてお世話になった、

尊敬する

大先輩の

数名の方々からは、

わざわざ

特別なご返事をいただき、

励ましの言葉をいただきました。

ありがたいことです。

二百数十枚ほどの年賀状への反応からみても、

3%の超一流の人という割り合いは、

ピッタリあてはまりました。

あらためて納得した次第です。

地方都市では

人の数も限られるので、

超一流の人の数も少ないし、

全体のレベルも低いものです。

ですから、

どんな分野であれ、

上を目指す人は、

一旗上げようとして、

日本の首都である東京を目指すわけです。

また、

そのような人が

東京には

ウヨウヨいます。

これは

今に始まったことではない事実です。

私が

あまり間隔を置かずに

東京にでかけるのは、

あの都市が持つパワー、

雰囲気、

頂点に立つ

超一流の人物に接するためです。

そういう人と

同じ部屋に

自分の身を置くことだけでも

意味があるというものです。

超一流の人の

『オーラ』とか

『気』とか

『波動』といわれるものを、

この身に浴びるのも

目的の一つです。

超一流を目指すのであれば、

超一流の人に学び、

真似をすることです。

現在では

そのような人たちに

共通することが

項目ごとに

整理されて、

教材になっていますから、

そのような教材を手本に、

素直に学び、

自己訓練によって

自らを高めるしかありません。

それをやったところで、

やっぱり

あの法則が

厳然として

あてはまるわけです。

だれでも

等しく

超一流になれる訳がありません。

やったものだけが

超一流になれる

可能性があるということです。

最後の難関はメンタルです。

自分が

そのような

超一流の人間になりたいという

強烈な意志を持ち続け、

しかも

自分が

超一流の人間になって

当たり前であるという意識を

持つことです。

もっと言えば、

自分が

超一流の人間になっていいんだ

という、

自分の心への

『許可』が出せた人のみがなれる

という法則があります。

この法則は、

アイドル歌手や、

プロ野球の選手、

オリンピックの金メダリストなどに

共通して見受けられます。

成功者といわれる人たちは、

そう思い込んでいるのですから、

同じように

思い込めばよいわけです。

しかも、

ここがポイントなのですが、

意識の上だけでなく、

繰り返し

繰り返し

反復して、

潜在意識にまで

そう

思い込ませるのです。

潜在意識を塗り替えれば、

人間は

必然的に

見違えるほど

変わります。

このような現象は

多くの分野で確認されている

普遍的な事実です。

そこで、

このような

様々な法則や

事実が

分かってきたのですから、

次は、

他人はどうであれ、

自分はどうするのかということです。

あるいは、

『どうしたいのか』、

自分自身に

質問をすることです。

この質問は、

私たちコーチが

お客さまに

必ず、

何度も

何度も、

繰り返しする質問です。

ですから、

素直に、

正直に、

自分の心の声を

聴いてみることです。

ここまでは、

コーチング」の、

ほんの一部分のお話しをしました。

 私は

この質問をすることが、

既に

クセになっているので、

妻には

何かと、

よく

この質問を

無意識のうちにしています。

そうすると

妻は

活き活きと

元気になって、

私が想像もできなかったことに、

次から次へと

チャレンジするようになりました。

二重アゴに三段腹の

「ポンポコたぬき」みたいな体型から、

若い頃のスマートな体型になって、

ダイエットに成功したことなんて、

ほんの一つの例に過ぎません。

そう言えば、

私の母が亡くなって、

葬儀屋さんと

葬儀の打ち合わせの場で、

私は

基本的な方針だけを言い渡しておいて、

後は

すべて

妻が

やりたいように

やらせました。

そのときも、

私が

何度も

彼女に

言ったせりふは

『どうしたいの?』、

の連発でした。

そうすると、

二年後の法事の場合なんて、

私には一言の相談もなく、

法事の日程調整から

親戚への連絡や

お寺さんとの打ち合せに、

会席料理の手配などなど、

何から何まで、

すべて

取り仕切ってしまいました。

あんなに

何もしなくてよかった、

楽な法事はありませんでした。

しかし、

彼女の実家のお母さんにとっては、

細々したことについては、

何かとご不満のようで、

彼女に

あれこれと

口うるさく

指図をされたので、

二人の兄を始め、

ほかの親戚の皆さんの手前もあって、

私は

つい、

「彼女にいろいろ指図をしないでください」

言ってしまいました。

いくら

親子だから

言いやすいからと言っても、

他のお客さまの気分を害するような、

口うるさい小言は、

とても聞き苦しいものでした。

もっと言えば、

『空気を読め』、

と言いたかったですね。

−−−

そもそも、

こういう

自宅での法事のやり方なんて、

理想をいえばキリがないもので、

文句をつけようと思えば、

どんな些細なことにでも、文句は言えるものです。

特に、

仏事が終わった後の座敷を、

会席料理の会場に

模様替えをする場合なんて、

じっと

待っては

いられなくて、

誰もが

手を出したくもなれば、

口も出したくなるものです。

あまりにも

完ぺき主義に凝り固まってしまうと、

角が立ちます。

ですから、

こういう場合は、

百点満点の、

せいぜい80点も取れれば

良しとすべきことなのです。

−−−

世の中の物事は、

概ね

80点も取れれば

許されるように出来ているのです。

何らかの資格試験の合格ラインも、

概ね

その程度と決まっております。

例えば、

企業で

何かの計画をする場合、

あまりにも、微に入り細にわたって、

事細かに

計画を立てておりますと、

至る所で

何かと

計画とのズレが出てきます。

ですから、

そんな

細々したことに囚われていたら、

本来の目的を見失いかねません。

どうでも良いような事に

目くじらを立てて、

口やかましく

文句を言っていたら、

誰もが

やる気をなくしてしまいます。

何事にも、

さじ加減というものがありまして、

決まりきった

レシピどおりに

料理を作っていたら、

なんの変哲もない、

普通の料理になってしまいます。

ところが、

お袋の味というものは、

永年の繰り返しの中から体得された、

絶妙な

勘で

創られているものであります。

特に、漬物がそうです。

食品スーパーで売っているものとは、

比べ物になりません。

それに、

ほかの家庭では

決して味わえない、

そして、

決して

お金には代えられない、

絶妙な味なのであります。

この違いがわからない人はいないでしょう。

こういうものを味わう心を失ってしまっては、

もう、

人間もおしまいです。

−−−

以上のことから言えることは、

超一流を目指すことには、

徹底して

超一流にこだわらなければなりませんが、

いわゆる

世間並みでよいことは、

そこそこで良いといえるだけの、

心の余裕が欲しいものです。

何から何までこだわっていたら、

精神的に

自分を追い込んでしまうようになって、

自滅への道を辿ることになります。

いわゆる

自縄自縛ということになる。

そうなると、

目をそむけたくなるような、

悲惨な末路をたどることになります。

朝から

テレビのニュースを見ただけで、

いきなり

ブチ切れて、

ものすごい勢いで、

怒鳴り散らす

爺さんに

成り下がってしまうのであります。

そして、

家の外に

散歩にでも

出かけようものなら、

見るものすべてが気に食わない。

コンビニの前の

地べたに座り込んでいる若者を見ただけで、

怒鳴りつけるのであります。

私のご町内にも、そんな爺様がおりました。

そういう人は、

どこにでも、

一人や二人はいるものです。

みっともないったら、ありゃあしません。

かくいう私も、

そんな爺さんになりかねません。

なりたくはないけど、

なりそうな気配は、

限りなくあります。